古代と初期キリスト教

交易と交流により、青銅器時代と鉄器時代の先住民は現在のクロアチアの国土において紀元前8 世紀には既にギリシア人とエトルリア人の芸術作品に接触していたが、アドリア海東岸に古典文明が発祥し広まるための条件が確立されたのは紀元前4 世紀のギリシア人入植者の到来を待つことになった。イッサ(現在のヴィス島)とファロス(現在のフヴァル島にあるスタリー・グラードの町)という植民地を通したギリシアの影響の広がりが文字、造幣、貿易、土地の分割と城壁の建設に見られる。

鎧を着た皇帝アウグストゥスの像(紀元前1世紀末)は、古代ナローナの遺跡(メトコヴィッチ近郊のヴィッド)で発見された皇帝と女王の17の大理石像の一つ。この像はヴィッドのナローナ考古学博物館に収蔵されている。
フヴァル島にあるスタリー・グラード平原は、ギリシア植民地時代に遡る土地の分割を未だに視認でき、2008年にユネスコの世界遺産リストに登録された。
アレナと呼ばれるプーラの円形劇場は1世紀に建てられ、ローマ帝国で6番目に大きく、25,000人の観客を収容できた。現在は文化とスポーツの大きなイベントの舞台となっている。

紀元前2世紀以降、ローマは徐々に権力を確立し、属州として複数の行政地域(ダルマティア、パンノニア)を設立した。ローマ文明の特徴(都市生活、建築、彫刻、信仰、造幣、交易)を持つ文化・経済的発展はアドリア海沿岸で始まり、さらに後背地の奥にも広がっていった。多くの集落(パレンティウム(現在のポレッチ)、サロナ(現在のソリン)、ヤデラ(現在のザダル)、ナローナ(現在のメトコヴィッチの近くのヴィッド)、アエノア(現在のニン)、ヴァルヴァリア(現在のブリビル)がローマの町の特徴をあわせて、そこではバシリカ、マナー・ハウス、古代ローマの公衆浴場や他の豪華な公共建築、特に劇場(ポーラ(現在のプーラ)、サロナ)と円形劇場(ポーラ、サロナ、ブルヌム(現在のキスタニェ近郊のイヴォシェヴツィ))が建設された。

スプリトにあるディオクレティアヌス宮殿は、ローマ帝国の領土にあった宮殿として、代表的存在で極めて保存状態がよいものの一つである。要塞化された宮殿(町、陣、上流階級住居、そして経済複合施設の組み合わせ)の実例である。4世紀初頭、ディオクレティアヌス帝によってサロナ(ソリン)の近くに建設された。宮殿とスプリトの歴史的中心部は1979年にユネスコの世界遺産リストに登録された。
ポレッチのエウフラシウス聖堂の中央アプス。聖堂は6世紀にエウフラシウス司教によって建設され、八角形の洗礼堂、長方形のアトリウム、記念礼拝堂を持つ三廊式のバシリカ、そして司教館から構成されている。世界で唯一保存されている初期キリスト教の司教建造物群であり、1997年にユネスコの世界遺産リストに登録された。
4世紀後半から5世紀初頭に建てられた、サロナ(ソリン)の司教建造物群にある洗礼盤を備えた洗礼堂。ほぼ全て保存されており、二廊式のバシリカと、付属建物のある司教邸宅を含んでいる。考古学者で保存委員のフラーネ・ブーリッチ(1846年–1934年) は、サロナの認定と保存、そしてダルマチア全体の初期クロアチア史に関して大きく貢献した。

パンノニア地域では温泉の町(アクワエ・ヤサエ、現在のヴァラジュディン温泉)と、重要な町シスキア(現在のシサク)、マルソーニア(現在のスラヴォンスキ・ブロド)、ムルサ(現在のオシエク)、キバラエ(現在のヴィンコヴツィ)が出現したが、その建築物はわずかしか保存されていない。後世に残る歴史的な建造物の中でもスプリトのディオクレティアヌス宮殿は特別な位置を占める。ローマ・ヘレニズム時代の建築における際立った功績は、ブリユニ島とムリェト島のポラチェの荘園、道路(サロナ−シルミウム、エモナ−シルミウム)、橋と水道橋(ディオクレティアヌス水道橋)である。

エロスの銅像(2世紀)、スラヴォニア博物館、オシエク
スプリトにあるディオクレティアヌス宮殿の平面図
雪花石膏の壺(1世紀)、イストリア考古学博物館、プーラ

313年のコンスタンティヌス1世による信教の自由を保障した勅令の後、初期キリスト教美術は古典文化との自然な共生の中で繁栄を始めた。初期キリスト教の宗教建築の最も重要な建築遺跡はサロナにあり、特に貴重なのは町の北にある初期キリスト教墓地(マルシナツ、マナスティリネ、カプリュチュ)である。ローマ帝国の東の後継者である東ローマ帝国は、6世紀半ばにイタリアとアドリア海東部の主要な政治勢力となり、航路の防衛と支配のために多くの要塞が建設され、その中でもヴェリキ・ブリユン島にある東ローマ帝国の「カストルム」が際立つ。ポレッチにあるエウフラシウス聖堂の建造物群は、この時代のもう一つの壮大な記念的建築物である。

6世紀の終わりに、クロアチアでは高度な古典文明が衰退し始めた。その理由は、度重なる「蛮族」の襲撃による町の経済的崩壊であった。

リュシッポス派のアトリエ(紀元前2世紀か紀元前1世紀)の影響を受けたアスリートのブロンズ像アポクシオメノスは、ロシニ島周辺の海における最大の水中考古学的発見である。現在はマリ・ロシニのアポクシオメノス博物館に収蔵されている。
コルチュラ島のルンバルダ村で発見されたギリシア碑文の断片であるルンバルダ・プセフィズマ(紀元前4世紀か紀元前3世紀)は、クロアチアで最古の文字による記念碑の一つである。これには、コルチュラ島の古代ギリシア人入植者の所有権とイリュリア人住民との関係を定義する「プセフィズマ」という議会の結論が含まれている。現在はザグレブ考古学博物館に保管されている。
青銅製の女神アルテミスの頭部(紀元前4世紀)は、至高のヘレニズム美術の一例であり、その時代の類い稀なギリシア作品の原作の1つでもある。ヴィス島のイッサ考古学コレクションに収蔵されている。